マイノリティーズリポート

少数派の為の 写真、映像、音楽、文化など

数字で見るものの価値とは

しばらく前のことのなりますが、東京オリンピックの開催が決まった頃、朝のニュース番組で話題沸騰中のオリンピックの公式エンブレムについて、「こういうデザインにお金をかけていること自体が間違っている。こんな簡単そうなものなら小学生とかにデザインの公募をしてそこから選べば良いではないか。」という意見が出ました。

 

そこに対しての反論はなく、そのままその話題は続き、次の方が発言され、そしてまたああだこうだと議論されました。

 

このことがこの国でのデザインを含めた様々なクリエイティブな活動や能力の価値の評価のされ方を如実に表していて、すごく残念な気持ちになったのを覚えています。

 

日本は戦後の復興から高度経済成長と資本主義バリバリの中で国を発展させてきました。80ー90年代にはそこが国民のプライドになるほど経済資本主義にのめり込みました。ニュースなどでも、日本が経済大国であることは繰り返し報道され、僕の小学校の教科書でもとても大事な事柄として教えられていました。強く印象に残っています。

 

そして僕の世代ぐらいからは日本の経済発展の恩恵を最も受け、大人に向かって成長をしている時代に将来に対してのなんの不安もなく、希望に満ち溢れていました。また経済大国日本というプライドも持ち、自信を持って海外の人と付き合うことができました。

とても感謝していることです。

 

またそういったプライドからさらに経済至上主義の価値を高めるのに日本人は奮闘し、骨の髄までその資本主義の考え方を染み込ませました。

売れるものは正義、稼ぐものはスター、全ては数字で判断され、今では世界で最も強い経済資本主義の考え方を持った国になったと思います。

車や電化製品などの商品も数字に重きが置かれリッター何キロ走る、連続再生何時間、など全て数字に置き換えられた評価がされています。

 

あらゆる評価、商品や人間の価値については売り上げや給料の金額、数字によって話され、「儲かる、売れてる、稼いでるらしい」というフレーズはは都会の居酒屋で聞かない日はありません。

 

この価値観のみで判断することは正しいのか? 

心の底から"正しくない"と信じている人は少数派でしょう。

正しい、、、難しい言葉です。人それぞれ、何でお前が決める?と言われたらおしまいですし、資本主義では多数派が"正しい"とされるわけですから、、、仮にその少数派が、"正しい"と答える人達と議論になったとしたら、多数決では必ず負けます。では結論は"正しい"となるわけです。

 

しかし、だいたいの賢い大人は意見では少数派をとりたがります、ただ実践はしませんが。少数派の方がかっこいいイメージがあるのか、ルイヴィトンの限定モデルを買いたがる、みたいな感じでしょうか、大枠の多数派意見は出ずその中での少数派、個性派をうたう。

 

多数派の中の少数派になりたい(ただ本人は純少数派と主張するでしょうが)そういう人は多数派です。そしてその方達はだいたいものの価値の判断は数字やブランド、もしくは著名人のお墨付きに頼っていることが多い。

 

今はそういう方達の意見を代弁しているわけではないということを言いたいが為、少し話が逸れましたが、現状、大多数の人たちが数字で表せないモノの価値を評価していない、少なくとも人類スタンダードで考えると、この国の人々はそれらの評価が低い、そもそも判断能力がないと言えると思います。ある朝のニュース番組での出来事がそれを表していると思いました。

 

先日、職人達による素晴らしい刃物を世に広める活動をしている方とお話しさせていただく機会がありましたが、ブランド力なしに国内での販売はなかなか難しいとのことでした。しかし、ヨーロッパでは商品を見て触っていただくことのみで結構売れていくのだそう。

 

経済、仕事、金、にのめり込んで忘れられた価値が分かるのと分からないのと、どちらが「豊か」か、どちらがプライドを持てる日本人か、考えることは大切だと常々思っています。